エラスムス。
夜風に靡きまして、風鈴がお届けします。
泥棒だったり、事業家だったり、幼女ひろってパパしたりと忙しい男。
哀れなジャン・ヴァルジャン。
それは『無情』。
その髪の毛ブリーチですか、大変そうですね、と尋ねたくなるヘビ野郎。
スクライドにでてきた一人プリキュア。
それは『無常』。
僕を証明するのは記憶か、環境か。
霧上のエラスムス、プレイしました。
フレーズといい、序盤の展開といい、よくある記憶喪失ものなのかと思ったのですが、見事に予想を裏切ってくれました、良い意味で。
時代は2011年。
舞台はフランス、エラスムスという格式張った制度、魔女という単語、そしてキャラクターたちの古風な仮装。
中世な雰囲気から、一転、時代設定をいかしたアンナ展開になるなんてちょっと反則です。
全体を通して丁寧なエンターテイメントが構成されていたこの作品。
そのなかでもボクが一番上手いと感じたのは、『人を証明するのが記憶なのか、環境なのか』 というフレーズが『僕』 だけではなく、『あなた』にも適用されているところ。
わたしが認めているのは、あなたの記憶(そのもの)なのか、あなたの環境なのか?
こう言い換えてみますと、はっきりとします。
自分が誰かをどういう目でみているのか、自分という存在を色づける部品のようにしかみていないのではないか。
この作品はキャラクターや『交換』という設定を通して、『人』の自分本意な、汚い部分が 顕著に描かれています。
大切だと想っている人間をモノのようみているんじゃないか? という自問自答が生まれた瞬間。
グサリ、と来ましたね胸に。
五寸釘? いえいえ、大根みたいなのがこう、卑猥なぐあいにメリメリと。
(モットイタブッテー\(^q^)/
本質に迫る感想をかこうとすると、どうしてもネタバレを含んでしまうのが悲しいところなので讃辞はここらで割愛しちゃいますが、エラスムスは人間の黒い部分が大好きな風鈴にはもってこいの物語でした。
(白があっての黒、つまりはそういう部分も輝いている作品です)
とりあえず蝉が死に絶えるまでの間、
靄太郎さん描く、ネリーさんに完膚なきまでの虜にされてしまったあちしは、もう『ファタモルガーナの館』の頒布を待つだけな感じです。
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